積ん読の山と山崩し
本や雑誌を買ったまま読まずに置いてあるのがだいぶ溜まっている。本を定期的またはゲリラ的に買う人にはあるあるだと思う。
昨日などまたネット書店と実店舗書店と合わせて18冊も購入してしまった。正直ばかかと自分でも思う。本棚代わりのカラーボックスの未読本がまた増えたじゃないか。(お金も減ったね…)
特にハウツー本など買っただけで満足してやらないと何にもならない。あるあるだろうが、節約等のお金に関する本を買っても読まなければその本代は無駄遣いだし、片付けの本を買っても置いておけば片付けるものを増やしただけだ。
買うのはその場の衝動もあるけど、自分に足りないものや不安感を埋めたくて買ってとこもあるかもしれないなぁ。
とりあえず、達成感が目に見えると違うと思って、ノートを用意して読書ノートを作ってみた。絵本やコミックエッセイなんかだとあっという間に読み終わるから、昨日だけで三行くらい記入できた。
やる気を出すために勢いをつけるにはそういう本からがいい。決してコツコツ型ではなくやる気に溢れてる時にガーッ!といくタイプには最初が肝心。スタートダッシュだ。
さて、読んだら次は久々にメルカリ出品などしてみよう。だけど、その売れたお金でまた本を買ったりするんだよねえ(笑)
寝れない。このやる気のなさは何だろうか
なかなか寝ることができない。
それは布団に入っても眠れないというのと少し違う。まずはお風呂になかなか入れない。面倒に感じてしまうのだ。だけど体を洗わなくては…という思いはあるので日付が変わってからようやく風呂場に向かう。それは場合によっては2時やもっと遅くになることもある。
そしてようやくシャワーを浴びてくるとやっと布団を敷くけれど、まだグズグズとスマホをいじっていたりもする。7時半過ぎには家を出なければ遅刻するのに。
そんな風になかなか寝ることができない。今夜もだ。電気もファンヒーターの灯油も無駄。家族が入ってから時間が空いてから入る風呂場はひんやりと寒いしいいことは1つもないのに。
まずはスマホを遠ざけるべきかもしれないが、それはそれで本を読んだりダラダラと起きている。
だめだと思うのに今夜こそはと思うのにまた繰り返してしまう。
時計を見上げれば1時半過ぎ。はあ……ダメだ…風呂に向かわないと…。
銀色夏生さんと家庭菜園
この本は穏やかにやる気が出る本とでも言えばいいだろうか。
銀色夏生さんの名前を初めて聞いたのはもう30年以上前のこと。確か同僚の子がファンだと言っていたのだ。だけど私は当時この作者の本を結局手に取ることがなかった。
だが、昨年急に読む機会がやってきた。家庭菜園を始めてすぐに「自然農」とか「自然栽培」というものを知り、色んな本を買ううちにこの「自然農1年生 畑は私の魔法のじゅうたん」という本にも巡り合った。
彼女が畑を始めたきっかけは私とは違った。だけど、ちょっと思いつきで次々とやっていくところは少し似ていると思った。自然栽培をいきなり始めてみたものの同じような失敗をしたりの共感も覚えた。
でもやっぱり違った。あまりいい言葉じゃないかもだけど彼女のほうがずっとマシだった。畑の写真を見てもきちんとまっすぐに畝ができていたり、なんだかんだマメに畑に通って世話している。だから出来はイマイチとしてもそれでも野菜が口に入るところまで行き着けている。
それに比べてしまうと家庭菜園の本を読んでも全くその通りにせず、しかもせっかく植えた苗も放ったらかしの自分を嫌になったりもした。「やっぱり自分はズボラというかやる気がない。ダメだ…」と思ったりもした。
だけど。それでもこの本はとても好きなのだ。自分が属するようになった家庭菜園の日々が日記として書かれているのは面白いし、勇気というか穏やかなやる気が出る。さっきと言うことが違うかもしれないがこれでもいいんだと思わせてもくれる。その人なりでいいのだと思わせてもくれるのだ。
ちなみにこの本がきっかけで同作者の「つれっれノート」というのも読むようになったが、自然農の日々について書かれたこの本のほうが写真も多くて楽しい。とはいえ、つれづれノートも41から読み始めて3冊目を読み終わった。自然農の本と同じでありのままの日々が書かれていて、これでいいんだという静かな気分になるから。決して私とは似ていないのにそれでもそう思える本だ。
話がまとまらないが、彼女の本に出会ったことは良かったと思っている。大ファンというのとは違うが、何かまた買ってみようかなと思う。
この本も久しぶりに読み返したい。
読書と本のこと
自室には割と本が並んでいる。だが、本の中の文字の割合は減っている。
これまでの人生の中でもっとも文字のみの本を読むのが好きだったのは小学生の時で間違いない。
それでも決して超がつく読書好きと胸を張れるほどではなかったが、でも児童文学とか伝記とかを割と読んだりしていた。
それが、読まなくなっていったのはアニメや漫画を読む割合が増えていったからだろう。ことにいわゆるヲタク仲間ができてからはアニメや漫画の推しに夢中で小説の類は読まなくなっていった。
中学時代はコバルト文庫とか、高校時代〜社会人初期に友人に勧められて読んだ田中芳樹先生や菊地秀行先生の作品とかは読んだけど、ことに大人になってからはほぼ読んでない。近年、昔好きだった児童文学を買って読み返したけどそのくらい。あとは推しジャンルの二次創作小説とか。
活字離れというヤツだね。
だけど、それでも「本」という存在は大好きだったりする。それも紙の本だ。
装丁、読んでる時の本の大きさや重み、それからその時の季節の感じ……気温や天気とかそういうものが思い出として残る。本棚に並んでる本の様子も背表紙を見てるだけで楽しい。
だから、活字離れとかいっても部屋には比較的本があるのだ。もちろん積ん読本も多数だけど。
絵本やコミックエッセイ、写真集の割合が多くなりつつも、今この目の前のカラーボックスにも「本」がずらっと並んでいる。
タンスや押し入れの中の漫画や薄い本も含めたらまあまあの数がある。独身時代の数にはとても届かないが。
だが収納スペースには限りがあり床や棚に文字通り「積んどく」になりがちなので、読んでないものは読んで、既読本も残すもの手放すものを決めなければ。これは今年の目標の一つとしたい。
などと言いつつ、昨夜も深夜に密林で本をポチった。片付け、ダイエット、畑関連などついついポチってしまうジャンルだ。そうそう、今度コミックスも2月の新刊をポチらねば。
……活字離れの本好き物欲おばさんの部屋からは本当に本が減るのだろうか。
私の知ってる人参の形じゃない…
今日畑から抜いてきた人参。
これは私にとっては初収穫の人参。
夏には全然芽が出なかったり出ても葉っぱが大きくならなくてダメだったのが今になって1つだけ大きくなったもの。
出来は見ての通りである。
土作りもせず、何も手をかけなかったからこうなったのだとはわかってる。自分のせいだとは思う。つまり責任の所在という点ではそれは私にある。
だけど、どうしてこういう形になってしまったのだろうか。割れてたり、横から変な細い根?実?が出てたり。肥料不足?水不足?土が硬い?収穫が遅い? そういう具体的な原因が分からない。
謎である。